連載小説 第158回 4ビットAI内蔵 “詠人舞衣子” の思い出

Momoe Sakurada
ペンネーム
桜田モモエ

<これまでのあらすじ>

サイコーエジソン株式会社の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。訳あって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品の営業に携わっています。10年近くに及ぶ海外赴任(アメリカ、ドイツ)を経て、今は東京から海外市場をサポートしています。インターネット、IT機器、携帯電話など新しい技術や製品が日々生まれ、それらをサポートする我々の電子デバイスビジネス(半導体、液晶表示体、水晶デバイス)も大忙しですが、台湾や韓国などの新興勢力も台頭してきて、日本の電子デバイス業界は激変の連続でした。

(日本半導体の栄光と挫折?『詠人舞衣子』総目次はこちら

 

第158話 トム君の憂鬱

 

私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社の25年生。文系ですが技術製品(半導体などの電子部品)の営業に携わっています。10年にわたる海外赴任生活(アメリカ、ドイツ)を経て東京勤務中。世界のIT産業はどんどん変化していくので、ビジネスも大忙し。我々の半導体の売上げも2000年にはサイコー!だったのですが、その後、状況はめまぐるしく動いていきます。電子デバイス営業本部にも毎日のように変化が起こり、とうとう液晶事業は分離され、各事業ともに大きな変化が。2004年10月、私もトム君も再び、半導体事業部に所属する事になりました。

 

「おい、舞衣子ぉ!悪いけど、この資料まとめといてくれる?」

「この資料って何?」

「この資料だよ」

「この資料ね」

「うん、頼む。あ、もう出なきゃ」

「分かった、行ってらっしゃい」

「おお」

ってな具合で、トム君は飛び回っていました。どこを飛び回っていたかですか? それが、営業部長なのに、お客さんのところじゃなくて、事業部へ飛び回っていたのです。何故にそうなってしまったのかと申しますと、電子デバイス営業本部は解体となり、それぞれの事業部付の営業体制に変わってしまった事、そして、トム君がその半導体営業部の筆頭部長となり、営業の代表として事業部へのスポークスマンになってしまったからでした。

トム君は立場上、半導体の全営業の情報を握っていなくてはなりませんでしたが、多岐にわたる営業情報を全部把握する事は至難の業です。情報のシステム化が不十分だった頃の事でしたので、売上げ予測や、様々な案件情報など、すらすらとお答えできる状況にはなかったようです。メインの海外営業の情報はかなり掴んでいましたが、国内営業や社内営業には深く関わっていなかったので、毎週、長野県にある事業部へ行っては、ああでもないこうでもないを繰り返していました。

とりわけ、その年は思うように売上げが伸びず、毎度、営業が責められるような状況が続いていました。そもそも、我々の半導体事業は2000年度をピークに毎年売上げが減少しており、かといって素晴らしい技術開発、商品開発ができていなかったにも拘わらず、事業部は営業を責め、一方、営業は事業部を責めという状態に陥っていました。

一般論的にも、商品開発と販売は、双方が責任を押しつけあう傾向にあります。それが健全かというと、全く健全ではないのですが、販売努力が足りないという見方と、良い商品が創出されていないからだという見方がぶつかり合うサガにあります。

売上げが好調な時こそ将来への危機感を持って先々の仕込みをしなくてはならないのですが、それはなかなか進まず、ひとたび売上げが下がると、何とか注文を取れと急にバタバタするのが、我が半導体事業部なのでした。ただ、それは、日本の半導体メーカーの殆どに言える事だったように思います。

本来的には、先を予測して、市場開拓や技術開発、商品開発などの様々な仕込みをしなくてはならないのですが、それが追いつかないまま、時は流れていきました。

その日、遅くなって事業部から戻ったトム君は、結構ヘトヘト状態になっているようで、見ていても、ちょっと可哀想な感じでした。

「ねえ、ちょっと、大丈夫なの、トム君?」

「あ、ああ、舞衣子か」

「大丈夫かって聞いてんの」

「あ、うん」

ビール飲みに行く?」

「あ、うん」

「何か調子悪そうね。ビールやめとく?」

「あ、うん」

「どっちよ?」

「うん・・・」

「ま、この調子じゃ、駄目ね。早く帰って休んだら?」

「あ、うん」

てな調子で、その日はさっさと帰ってもらう事にしました。売上げがはかばかしくない事で、色々難しい状況になっていたようです。

翌日は、お客さん対応で、会食もあり、忙しそうにしていましたが、その方が楽しそうなトム君でした。

その翌週、工作君がミュンヘンから出張で帰って来たので、火曜日の夜、私たちは久し振りに3人でビールの宴を催しました。

「かんぱ~い」

「かんぱ~い」

「かんぱ~い」

と3人の声が揃いましたが・・・。

「おい、トム、舞衣子から聞いたぞ。何だか事業部対応で大変だそうじゃないか」

「そうよ、トム君、先週も、私からのビールのいざないをムゲにする程、疲れちゃってたし」

「うん、まあ、そうだな。疲れてるよ、おれ」

「なんだよ、トム。自分から疲れてるんだよ、なんてめったに言わないのに、よっぽどなのか?」

「まあ、そうだな・・・」

「ねえ、トム君、売上げが上がらないなんて、トム君のせいじゃないよ」

「そうだよ、トム。強いて言えば、ボクがミュンヘンでもっと注文取れてれば、ってな感じで、世界の全拠点で注文増やせればいいんだよな」

「ああ、全拠点がもっと頑張ってもらわないと駄目だ。工作ももっと注文取ってくれよ、みんな働きが足りないんだよ

「あらあら、変ねえ、トム君。そんなひどい事、普段言わないのに」

「ごめん、だけど、毎週事業部の会議へ行くたびに、ああだこうだ言われて、まいってんだよ」

「そうなのか」

「そもそも、もっと競争力のある商品があればいいんだけど、ありきたりのICしかないからさ」

「何よ、トム君、だったら売れる商品を作ればいいじゃない」

「簡単に言うなよ、舞衣子。それができてれば苦労はないんだよ」

「ま、それはそうだ。ボクたちももっと市場の要求を事業部へフィードバックして、売れるICを作って貰うってもんだけど、半導体の商品開発ってものすごく時間がかかるし、ベースの技術もへたってきてるからなあ」

「何よ、二人とも、ネガティブな事ばかり言って。私たち、もう四半世紀もこの業界で仕事してんのよ。何とかしなさいよ

「うん、分かってはいるんだけど・・・」

「そうだよな。分かってはいるんだけどなあ・・・」

「・・・」

しかるに、私たちは3人とも、分かってなんかいませんでした。もっと言えば、我々の半導体事業に関わる全ての人が何をどうしたらいいのか分かっていなかったと言っていいでしょう。

半導体ビジネスとは、かくも難しい事業なのです。その構造たるや、農業的なとても長い時間軸の中で、莫大な金額投資をし、最先端の技術を持たなくてはならないという類いの事業なのです。

ひとたび、最先端の集団から遅れをとってしまった組織は、そうやすやすと先頭集団には追いつけません。第二集団、第三集団の中で、何とか生きる道を探ります。誰も持っていないユニークな商品を出すとか、他の会社が手をつけなくなった分野で残存者として売上げを確保していくなど、何かで生き残っていくしかないのです。

我がサイコーエジソン株式会社の半導体事業はそのような状況に陥っていました。

あまり、調子が出ないまま、ビールの数だけは増えていくのでした。

 

 

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