連載小説 第117回 4ビットAI内蔵 “詠人舞衣子” の思い出

Momoe Sakurada
ペンネーム
桜田モモエ

<これまでのあらすじ>

サイコーエジソン株式会社の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。訳あって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品のICの営業に携わっています。米国現地法人のSS-Systemsを経て、今はミュンヘンにあるヨーロッパ現地法人のEdison Europe Electronics GmbHに勤務しています。世界中で携帯電話の普及というビジネスの波が起こっていました。我々の半導体製品もその波に乗って大忙しです。そこへ液晶表示体と水晶製品のビジネスも統合され、更に大忙し。でも、携帯電話ってジェットコースターみたいなビジネスでした。

(日本半導体の栄光と挫折?『詠人舞衣子』総目次はこちら

 

第117話 オスロでのビジネス

 

私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社の19年生。文系ですが技術製品(半導体などの電子部品)を販売しています。アメリカの現地法人SS-Systemsを経て、ヨーロッパの現法Edison Europe Electronics GmbHへ異動しました。ドイツのミュンヘンで倫ちゃんと産まれたばかりのベイビーと暮らしています。携帯電話向け電子部品は飛ぶように売れましたが、同時に大量の在庫も産んでしまうリスクを抱えていましたので、別の分野でもビジネスを伸ばす必要がありました。

 

 

「Guten Morgen」

Guten は Good、MorgenはMorningです。

Mine name ist Maiko.

Mine は My、istはis。つまり、My name is Maiko.

何だ、以外と簡単じゃん、などと思ったら大間違いです。

Ich bin in Japan geboren.

Ich は I、binはbe、geboren は born。つまり、I was born in Japan.

やっぱ、簡単じゃん、などと思うのも大間違いです。

実際、ドイツ語を習ってみると、英語とは単語があまりに違いすぎて覚えられませんし、語順も微妙にちがっているので、戸惑ったりもします。買い物ができ、レストランで何とか注文ができれば、最低限は何とかなりますが、一市民として生活するには不十分です。

ドイツにしろ、フランスにしろ、国力が強い国は自国語しか話さない傾向が強くなります。一方、オランダや北欧の国では、より国際的な協力も必要なためか英語の普及率が高く、大体どこへ行っても何とか英語が通じます。

フィンランド人などはとても英語が上手で、携帯電話向け液晶モジュールで非常に大きなビジネスを行っていたエヌキアさんとは英語が分かりやすくてコミュニケーションがしやすかったと皆が口を揃えて言います。しかし、ビジネスに関して言えば、携帯電話のジェットコースター的数量変動で苦労した事はこれまで述べてきた通りです。

携帯以外の分野で北欧には当時とても重要な顧客がおりました。それはノルウェイにあるA社で、何のメーカーかと申し上げますと、プロジェクターのメーカーでした。プロジェクターはその頃から世界で本格的に普及し始めたプレゼンテーション用の機器で、それ以前のOHP(オーバーヘッドプロジェクター)にとって替わる技術でした。今では当たり前のように利用されているプロジェクターですが、その技術確立までには様々な試行錯誤があったようです。

プロジェクターには大きく分けて二つの方式があり、LCDタイプとDLPタイプがあります。サイコーエジソン株式会社はLCDを使う技術でプロジェクターを開発し、大きなシェアを握る事になりました。

このLCDはなかなか簡単に作れるものではなく、高温ポリシリコンという特殊な技術で製造されるものだったため、プロジェクタービジネスに参入しようとするメーカーは高温ポリシリコンLCDをどこからか調達する必要がありました。

サイコーエジソン株式会社はノルウェイのA社に高温ポリシリコン液晶を提供するビジネスを行うようになっていたのです。そして我がEEEGはヨーロッパ市場向け電子部品の販売を一手に引き受けていましたから、A社に対しての販売を行う事になりました。

ヨーロッパの市場においてはサイコーエジソン株式会社自社のプロジェクターも売れ始めていましたが、A社のような欧州ベースの企業も欧州市場において根強い顧客ベースをもっていたため、共存する事ができたのだと思います。

自社の完成品に使用するコア部品を他社へも売るという構造は、一見おかしいように見えるのですが、市場を食いあわない限りはそういう戦略もあるのです。

トム君と横山社長はA社のトップとの打合せでノルウェイへ出張してきました。

「ねえねえ、トム君、オスロってやっぱり寒かった?」

「ああ、寒かったけど、思った程じゃなかったよ。たまたまだろうけど」

「A社ってオスロから結構遠いんでしょ?」

「うん、オスロに泊まって、朝の電車に乗ってさあ、1時間くらいで着いたよ」

「そうなんだ。ノルウェイの電車ってどんな感じ?」

「別に変わらないよ。日本みたいに混んではいないから普通に座れて大変じゃなかったな」

「車窓ってどんななの?」

「一面雪野原だし、曇ってるから、あんまり感想もなかったけど、オスロでいいもの観てきたよ」

「何?フィヨルドとか?」

「いや、そうじゃないんだけど」

「じゃ、何よ」

ムンクさ」

「ムンクってあのムンク?」

「そう、あのムンク」

ムンクと言えば、1893年に描いた「叫び」が特に有名なノルウェイの画家です。あの絵を見れば大抵の人は分かるでしょう。「叫び」の他にも数多くの作品を残しています。

「へえ、スゴいねえ、トム君、ムンクの「叫び」観てきたんだ」

「横山さんもムンクの作品を間近に観られて大喜びだったよ」

「でも、そもそもムンクがノルウェイの人だって知ってたの?」

「そりゃノルウェイへ行くんだからそのくらいは調べるよ」

「美術の教科書でしかお目にかからないもんね、普通は」

「まあ、ヨーロッパに住んでいるからこその機会だからな」

「どこにあるのそれ?」

「オスロの市街にある国立美術館だよ。歩いてもすぐだったな」

「へえ、いいじゃん。私も行ってみたいなあ」

今では、ムンク美術館というのができて、そちらに展示されているらしいですが、まだその頃は国立美術館にありました。オスロの街は冬の平日だった事もあるのでしょうが、とても静かで、美術館もゆったりと回る事ができたそうです。

さて、プロジェクター用高温ポリLCDビジネスですが、世界中でプロジェクターは数多く利用されるようになっていき、テクノロジーもどんどん進歩していきました。プロジェクタービジネスに参入するメーカーも増え、競争も激化していきます。

ヨーロッパ市場におけるA社のポジションはその頃は堅調を維持しており、このビジネスは我々がいた頃のEEEGの業績に大きく貢献してくれました。

サイコーエジソン株式会社の高温ポリシリコン液晶事業部のビジネスが非常に賑わっていた頃のお話です。

 

第118話につづく

第116話に戻る