連載小説 第133回 4ビットAI内蔵 “詠人舞衣子” の思い出

Momoe Sakurada
ペンネーム
桜田モモエ

<これまでのあらすじ>

サイコーエジソン株式会社の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。訳あって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品のICの営業に携わっています。10年近くに及ぶ海外赴任(アメリカ、ドイツ)を経て、日本勤務中です。20世紀も終焉に近づいていく中、我々の電子デバイスビジネス(半導体、液晶表示体、水晶デバイス)、そして日本の産業はどこへ向かって行くのでしょうか。

(日本半導体の栄光と挫折?『詠人舞衣子』総目次はこちら

 

第133話 DRAMでの勝利と敗北

 

私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社の20年生。文系ですが技術製品(半導体などの電子部品)を販売しています。10年にわたる海外赴任生活(アメリカ、ドイツ)を経て日本へ帰任しました。家族は3人一緒でラブラブですよ。うふっ。世界はITバブルの真っ盛り。半導体の売上げもサイコー!・・・だった頃です。

 

 

世の中はITバブル。

日本でも、数々の新興企業が生まれました。ヤフー、ソフトバンクグループ、楽天、サイバーエージェントなどです。これらの企業は成功して今でも生き残っていますが、この他にも、数々のベンチャーが生まれました。しかし、その多くはバブル崩壊とともに消えています。

急成長していたライブドアが崩壊した事件を覚えている方も多いかと思います。これはその後の2005年の話でしたから、今後改めてお話する機会があるかも知れません。

この流れの中で、既存の通信・携帯電話関連(NTT、NTTドコモ、KDDI)、コンピュータ関連(NEC、富士通、東芝、ソニー)、半導体、通信ケーブル、光通信などにもバブルの影響が及びました。

我がサイコーエジソン株式会社の半導体事業も2000年度には2000億円近い売上げを達成し、過去最高となりました。その時には、殆ど誰もが更に成長が続くと信じて疑いもしませんでしたが、残念ながら、それが本当のピークで、それ以降売上げは減少の一途をたどります。

何故、事業はそれ以上に成長できなかったのか?要因はいくつかありますが、この話になると辛い思い出を掘り起こすようで、今すぐ全てを語る気持ちにはなかなかなれません。おいおいお話していく事にしますが、一つだけあげるとすれば、新興国の半導体産業が急成長してきた事でしょう。

台湾のTSMCがシリコンファウンドリー専門メーカーとして急速に売上げを伸ばしてきました。日本の半導体メーカーは自社ブランドのICを製造して販売するというのが一般的で、シリコンファウンドリーにはあまり力を入れていませんでした。我がサイコーエジソン株式会社は半導体メーカーとしては規模が大きくなかったために、ある程度ファウンドリービジネスに依存してきましたが、大手メーカーがファウンドリーをやっているという話は殆ど聞いた事がありません。

その間隙をついてというのでしょうか、日本以外の半導体製造者が受託製造(ファウンドリー)を急激に伸ばしてきたという訳です。

TSMCは1987年創業ですから、それなりに歴史はあったのですが、2000年頃までは、それほどの脅威とは認識できていませんでした。技術力も日本の方が圧倒的に高いと信じられていたのです。ところが、気がついたらある日、巨大なライバルが出現し、追いつけないくらいに成長していた、という感じで、製造規模も製造技術も全て上回られていました。

日欧米でしか先端技術産業は育たないなどと過信されていた時代です。一時期、半導体生産で世界一位になった日本でしたが、日米欧以外の台頭には鈍感だったように思います。

その間に、台湾や韓国などでは、半導体産業は国策事業として支援され、急激な成長を遂げる事になります。

韓国でも、サムソンの半導体事業があっという間に世界へ進出し、DRAMで大きなシェアを獲得していきました。一時、日本のDRAMは世界1の品質と評され、シェアも一番だったのですが、良いモノを作れば売れるという幻想に捕らわれていて、マーケティングの意識が薄く、市場で何が本当に必要とされているかに敏感ではありませんでした。そのため、必要以上の品質に自己満足し、コスト競争をする努力を怠っていたのです。安価で製造できるサムソンなどのRAMにかなわなくなっていったのでした。

日本メーカーの多くは、DRAMが大型コンピュータ向けに売れていた古い時代の感覚でPC向けにも売ろうとしたのですが、その二つのマーケットでは必要とされる品質レベルが異なります。大型コンピュータでは25年レベルの保証が求められるのに対して、PCでは数年で十分です。そのため、過剰技術、過剰品質のDRAMでは低コストの韓国製などに負けてしまうのです。

製造に必要なマスク枚数を例にとれば、日本のDRAMは韓国や台湾メーカーの1.5倍が必要だったそうです。アメリカのマイクロンテクノロジーに対しては2倍のマスクが必要で、つまりは製造工程がそれだけ長く、製造コストもそれだけ高くなったという事です。

ある講演会でのエピソードがあります。講演者が上記のような過剰品質では世界で勝てないという課題を提示したところ、日本の半導体メーカーのお偉いさんが、それに反論して、日本の技術力は高い、問題ない、講演者の言っている事は間違っている、というような事を言ったそうです。

果たしてそうでしょうか。恐らく、講演者の言っている事の方が正しく、かつての成功体験にしがみついているような古い考えは間違っていて、新興勢力に勝てなかったという事なのだと思います。このような事例はその後、日本の産業のそこかしこで見られるようになっていきます。「ゆでガエル現象」です。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・

マーケティング感覚に劣る日本の製造業の体質が変わらなかった中で、その後の日本の半導体産業の凋落が始まっていました。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし、でした。

 

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