連載小説 第136回 4ビットAI内蔵 “詠人舞衣子” の思い出

Momoe Sakurada
ペンネーム
桜田モモエ

<これまでのあらすじ>

サイコーエジソン株式会社の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。訳あって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品のICの営業に携わっています。10年近くに及ぶ海外赴任(アメリカ、ドイツ)を経て、日本勤務中です。とうとう21世紀を迎えました。我々の電子デバイスビジネス(半導体、液晶表示体、水晶デバイス)、そして日本の産業はどうなっていくのでしょうか。

 

(日本半導体の栄光と挫折?『詠人舞衣子』総目次はこちら

 

第136話 2001年の困難 「BB Ratio」

 

私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社の21年生。文系ですが技術製品(半導体などの電子部品)を販売しています。10年にわたる海外赴任生活(アメリカ、ドイツ)を経て日本へ帰任しました。家族は3人一緒でラブラブですよ。うふっ。世界はITバブルの真っ盛り。半導体の売上げもサイコー!・・・だったのですが・・・。

 

「じゃあ、みんな、さようなら」

2001年の4月に組織変更があり、トム君は東京営業部へ異動になりました。

「トム君、異動と言っても、東京営業部は一つ上の階ってだけなんだから、いつでも会えるよ。そんなに気にする事はないよ」

「そうだよな、舞衣子。でも、海外営業部から去るのはちょっと淋しいよ」

「大丈夫、大丈夫。またいつでも一緒に飲みに行こう」

「ああ、でも、生まれてこの方、海外営業だったからなあ」

「何言ってんの。生まれてこの方じゃないでしょ、トム君」

「うん、まあ、この20年って事だけど」

「そうだよ」

「英語しか喋れないんだけどなあ」

「何言ってんの、普通に日本語喋ってんでしょ」

「そうだった」

「じゃあね」

「じゃあね、って、舞衣子、冷たくないか?」

「冷たくないわよ。しっかりして、トム君」

「あ、ああ」

「淋しい気持ちも分かるけど、海外と国内と両方経験できていいじゃない」

「うん、まあ、そうだけど」

「ね」

「うん・・・」

というようなやりとりがありまして、トム君はめでたく米州営業Gの課長から東京IC営業Gの課長となって異動していきました。なんでも、初日からあっちこっちのお客さんに連れて行かれて、挨拶回りだったそうですが、まあ、すぐに慣れていったようです。

毎日のように接待があったり、課内で飲みに行ったりで大変だったようですが、順応するものですね。一ヶ月もするうちには、英語は忘れて、日本語も上手になり(笑)、東日本エリアのお客さんや代理店を相手に営業活動を行うようになっていました。

ただ、前年の2000年までは非常に業績が良かったのですが、トム君が担当した2001年にはガラッと市場の状況が変わって、売れ行きが急に悪くなっていました。そのような時はいくら頑張って営業活動を行っても、受注は振るわず、販売額も伸びず、ずるずると業績は落ち込んでいきます。半導体の需給の波にあらがう事は殆どの場合不可能でした。

携帯電話や家電などの完成品メーカーにおいて、売上げが落ちてくると、部品の購入を下方調整し始める事になります。ひとたび、そのサイクルに入ると、なかなか抜け出す事ができず、我々のような部品メーカーは、完成品メーカーの動向次第なので、いくらジタバタしても殆どリカバリーできなくなってしまうのでした。

2001年は殆ど全ての電子部品メーカーが苦戦しました。我がサイコーエジソン株式会社も例外ではなく、減収減益を余儀なくされました。

「トム課長、またキャンセル入っちゃったんですけど」

「そうか、それはまいったなあ」

「どこのメーカーも同じなんですかねえ」

「まあ、こういう状況の時はジタバタしてもしょうがないと思うよ」

「だけど、事業部からはキャンセルなんて許さない、って言ってきてますよ」

「まあ、そうだよな。もう製造工程の途中まで来ちゃってるんだから、勝手にキャンセルしないでくれ、って感じだよな」

「そうですよ、全く」

「じゃあ、お客さんに対しても、もうちょっと粘るか」

「また、交渉ですかあ」

「うん、交渉だなあ」

「交渉ですかあ」

「ま、そういう事だなあ」

「・・・・」

このような場合の客先との交渉はかなりタフです。担当者も、調整の難しい交渉に明け暮れるという事はできればしないでいたい、というのがホンネなのですが、事業部からは、何とかしてくれ、と毎度毎度の催促が入るのです。それはそうですよね。簡単にキャンセルを受けたら、その分がほぼダイレクトに赤字要因になってしまうのです。しかし、お客さんにとっては不要な部材は購入したくないという相反する希望がぶつかる訳です。

だったら、事前に、Non-cancellableの契約で固めておけ、という事になるのですが、それも市場での力関係によるので実際には簡単ではありません。日本社会は、欧米のような契約社会ではなかったので、それなりに注文を受けて、何かあったらそれなりに交渉して、それなりに落としどころを見つける、というような非効率な事が日常茶飯事のように行われていました。

「トム課長、客先に行ってきました」

「おお、どうだった?」

「それが、先方もどうにもならないらしくて」

「それで引き下がってきたの?」

「まあ、そんなことで・・・」

「おいおい、せめて、注文復活の可能性とか聞き出せなかったの?」

「なんでも、すぐに機種変更になるらしくて、次の機種には使われないらしいんです」

「ええ、それじゃあ、このままデッドストックか?

「その可能性が高いです」

「まいったなあ」

「まいりました」

「そうなったら、もう、Cancellation Chargeを取る交渉をするしかないかなあ」

「交渉できますか?」

「するしかないだろ」

「でも、嫌われて次の機種でうちのICを使ってくれなくなったら困ります」

「そこは、あまり弱気にならない方がいいよ」

「でも・・・」

「まあ、キャンセル料払えないって言うんだったら、その代わりに絶対次の機種にもうちのICを使って貰う確約を取る、とかの交渉をするしかないか・・・」

「そうですねえ・・・」

というような会話が毎日のように行われていました。

BBレシオ(Book to Bill Ratio)という指標があります。

受注額(Booking)を出荷額(Billing)で割った数値です。BBレシオが1.0を上回っていれば、需要が旺盛(おうせい)で先行きの出荷額が増えることを意味し、逆に1.0を下回っていれば、供給過多で、先行きの景況感や市況が不調であることを示すという指標です。

前年度の後半からこの年にかけて、BBレシオはすっかり1を下回り、なかなか先の見えない状態が続いていました。

景気は循環するものですが、部品産業にとって、その影響は甚大です。供給能力に対して需要が多すぎても少なすぎてもうまくいきません。我々の営業活動においては、どっちに転んでも不毛の戦いを余儀なくされているような感がありました。

それでも、事業は毎日続いていきます。終点がどこかにあるのか分からないままでしたが・・・。

 

 

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