誘うPC98互換機(6) プリンターはパラレルIFだった。

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PC98互換機のプリンタのお話。今でこそWi-Fiなどのネットワーク接続が中心ですが、当時は8ビットパラレルインターフェイスもしくはシリアル接続でした。プリンタ側にも文字フォントがあり、フォントコードを送れば自動で印刷をする仕組みでした。<外伝>は、カラー印刷機能の登場により混乱したユーザ層のお話です。

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当時エプソンのプリンタは国内でよりも海外での方が強く、主力製品となっていたのはMX-80やTF130などでした。アメリカの展示会などで有名を馳せていました。また歴史を遡るとEP-101なる小型のプリンターがあり、エプソン・プリンタの起源となっています。これは第一回の東京オリンピックの際に、競技時間記録装置『プリンティングタイマー』として作成されたものから設計されました。このEPの子供達(SON)がEPSONの由来となっています。

copy from SEIKOEPSON

さて、PC98のお話に戻します。当時としてはセントロニクス互換8ビットIFは小型機器での憧れのインターフェイスでした。セントロニクス互換ソケット(14p,20p,36p)があり、PC98互換機として14ピンと36ピンを紹介します。

14ピンのデータ、ストロボとプリンタビジーによるインタフェースは数あるインターフェイスの中でも単純明快な仕様です。シリアルからもプリンタは起動できますが、PC98互換機としてはセントロニクス・モードのみです。36ピンではSELECT、PEなども加わりプリンタの仕様によって少し深掘りできる内容です(プリンタステータスがわかります)。

なお、90年代初頭は、プリンタのエプソンの黎明期(端境期)で、ドットマトリックス式からピエゾ型(インクジェット)に主力機種が切替られつつあるころでした。大衆向けはキヤノン、hpのバブルジェット型、法人向けはリコー、キャノンまたはゼロックスのレーザープリンタが主流となっていました。ドットインパクト型は法人ユースでもあまり売れなくなっていた時代です。この初期のピエゾ型の一つであるHG3000を社内でも使っていたのですが、使い勝手がよいとは言えないものでした。まあ結果としては、PC98互換機の売り上げが、プリンタの黎明期(端境期)の穴埋めになっていた様です。

なお、94年にピエゾ型はMACHテクノロジーと名前を替え、カラープリンタとしてMJ700-V2Cが発売されるとプリンタのエプソンは復活します。当時はまだ晴海にあったショーの会場で、カラープリントサンプルを左手に抱え、来客に一枚ずつ配った記憶があります。

<外伝>

プリンタのお話の続きです。MJ700-V2Cの発売と共に、CMでは「簡単に年賀状が印刷できる」なる文言から、パソコンなしで年賀状が印刷できるなどの勘違いをされている方がたくさんいらっしゃいました。エプソンのインフォメーションセンターにはこの手の勘違いをされている方から多くの電話をいただきました。当時としては、エプソンの経営層を含め大問題となりました。

今でこそ、スマホからや、プリンタに初めから備わった自動描画ソフトウェアなど使えば簡単です。当時はパソコン単体でも20万円強です。「パソコンをお買いげください」とはなかなか言えません。そんな中でクレーム客の一部には返品の受付をした様です。

また、ショーの会場でのプリントサンプル配布ですが、ショーの日に配るべく10日以上前から準備していました。そんな中、当日の配布数を大幅に超えるお客様からのリクエストをいただき、急遽配布枚数を増やしたりもしました。バックヤードのスタッフさんもお疲れ様でした。

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