レトロな(9) 現物(コンパチ品だけれども)入手。Z80, 8085, 8088

Joseph Halfmoon

昨年、第5回で8080、8085、Z80のハードウエアについて知ったような事を記述。第6回では今度は8080、Z80、8086のレジスタセットについてこれまた記述。でも「記述」だけで現物動かしてなかったのが気になって夜も眠れなかったデス。そこで今回は現物デバイスを入手。感慨もヒトシオだけれども動かす算段を考えないと。

※「レトロな」投稿順index

昨年の以下の回では「古代のベストセラー」マイクロプロセッサ共についてテキトーなことを書き散らしました。

レトロな(5) 8080, 8085, Z80を比べる、ハードウエア編

レトロな(6) 8080, Z80, 8086を比べる、レジスタ編

お前がそういうことを書くなよなとか、怒られないかと恐れていたですが、ネットの辺境にあるページ故、見つかってないみたい。良かった。

しかし、ただ図を描いて、分かったようなことを書き連ねても納得はゆかず。やはり現物を入手して動作させてみないと。ただし、偉大なるかな8080は、NMOSも第一世代の古いプロセッサ故、3電源。動作させるには余りに敷居が高いので、入手可能かどうかも調べませなんだ。

今回入手したのは

    • 8085(の互換品、NEC製)
    • Z80(の互換品、NEC製)
    • 8088(の互換品、AMD製)

であります。上記第6回では8086でしたですが、8088は8086の「データバス8ビット幅縛り」版でレジスタなどは完全に同一です。入手先は、これまたお久しぶりの大阪の

共立エレショップ殿

です。結構ね、懐かしいデバイスどもを入手すること可能(勿論、最新のデバイスも並んでおるようです。知らんけど。)

しかし、それにしてもオリジナルのインテルやザイログ製品ではなく、全て互換品。互換品だからといって機能、性能的には全幅の信頼を置けるものばかりデス。しかし、因縁深い筋だなあ。

思い起こせば40年ほど前、某インテルは某NEC社と泥沼の訴訟合戦に入ってました。まさに日米半導体摩擦のさきがけ。勃興する日本半導体を追われる立場の米国が叩いた一戦であります。NECが発表したVシリーズ・16ビットマイクロプロセッサは先行するインテル8086(あるいは8088)とソフトウエアの互換性あり、その互換部分に「インテルの著作物(マイクロコード)」を使っているだろ~という訴訟でした。

上で入手の現物の通り、当時NEC社はザイログZ80やインテル8085の互換チップを製造販売してました。まだ時代は黎明期、マスク保護法など半導体関連の法律が未整備だった時代です。多くの日本メーカが大手を振って互換チップをこしらえてました。当然、オリジナルを設計した米国メーカはニガニガしく思っていたハズ。「訴えてやる」と。しかしこれがなかなか難題だったみたいです。今では考えられないことですが、当時のインテルは特許にあまり力を入れておらず、特許では有効な手が打てなそーということになったみたい、そこで持ち出したのがマイクロコードは著作物、というロジックです。当時のCISCプロセッサはチップ内部にマイクロコードを持ってました。同一の機械語命令を実装するためにマイクロコードをコピペしてるんじゃないか、というのがインテルの見立て。対してNEC側は当然「法的に正統な方法」で互換性を担保したとの主張です。

当時、法廷が開かれる度に、今度はどんなことになったと太平洋の両岸で報道がなされ、日米両国の半導体関係者は目を皿のようにして読んでました。事はNECとインテルだけの問題ではなくなっていたのです。シリコンバレーにはサンノゼ・マキュリー・ニュース社あり、米国半導体業界の機関紙的な立ち位置。一方日本には朝日新聞あり、日本半導体の代弁者でありました。当時、米国側に立っていた筆者は両方の記事を読み、同じ法廷を取材したハズなのにこれほど方向性の異なる記事になるのかと驚いた記憶があります。蛇足ながら、訴訟後、朝日新聞社はどういう分けかサンノゼ・マーキュリー・ニュース社と蜜月関係になり、米国版の朝日新聞をサンノゼ・マーキュリー・ニュースで刷るというような関係になったハズ。

さて訴訟の決着は意外な会社のお陰でつきました。上記で入手した8088の互換品を作っているAMD社です。AMD社の場合、8088/8086から80286までの世代ではインテルの公式なライセンサーとしてチップを製造販売していたのです。一説にはPCに8088や80286を採用するにあたってインテルの一社製造を危惧したIBMの差し金であったとか、ホントか? ともあれ、そういうことで上記で入手したAMD製8088は正規のライセンス製品であるハズ。

なぜインテルの著作物主張にAMDが絡んでくるのかはちょっと込み入ってます。朧気な記憶をたどるならば、当時、米国の著作権法は万国著作権条約?に則っていない米国のローカルルール?らしかったです(今では整合性がとれている?)端的にいうと当時、米国で著作権を主張するためには「まるC チョメチョメ年」という表示が必須だったのです。当然インテル製の8088や8086にはそのような表示がなされていました。しかし、あろうことか一部のAMD製8086に著作権表示が抜けていたらしいです。そこからインテルの著作権主張は崩れ、訴訟は終結に向かったようです。しかし、AMDの「やらかし」がなければ負けていたかもしれず、以降日本の半導体業界全体が米国とは喧嘩しない方向へ流れが定着した記憶です。

一方、その後AMDとインテルの間で泥沼の訴訟合戦が勃発します。80286まではAMDにライセンスを認めていたインテルが、80386以降はAMDにライセンスを与えず、にも関わらずAMDは権利ありを主張して386以降も製品を製造販売したからです。因果は巡る?

閑話休題。折角、現物を手に入れたので、次回からピコピコと動かしてバスの動作などを観察してまいりたいと思います。できればちょっとしたプログラムをアセンブルして現物で動かしたいデス。しかし、古代のプロセッサを差し込んで動くようなボードは手元にありません。ありあわせの部品で、それらしく動くようにお茶を濁す予定っす。大丈夫か?

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