連載小説 第139回 4ビットAI内蔵 “詠人舞衣子” の思い出

Momoe Sakurada
ペンネーム
桜田モモエ

<これまでのあらすじ>

サイコーエジソン株式会社の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。訳あって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品のICの営業に携わっています。10年近くに及ぶ海外赴任(アメリカ、ドイツ)を経て、日本勤務中です。とうとう21世紀を迎えました。我々の電子デバイスビジネス(半導体、液晶表示体、水晶デバイス)、そして日本の産業はどうなっていくのでしょうか。

(日本半導体の栄光と挫折?『詠人舞衣子』総目次はこちら

 

第139話 半導体事業の再編

私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社21年生。文系ですが技術製品(半導体などの電子部品)を販売しています。10年にわたる海外赴任生活(アメリカ、ドイツ)を経て日本へ帰任しました。家族は3人一緒でラブラブですよ。うふっ。世界はITバブルの真っ盛り。半導体の売上げもサイコー!だったのですが、20世紀と21世紀あたりを境にして状況は変化していきました。

 

2000年まで意気揚々だった私たちでしたが、21世紀に入って最初の2001年は変換点だったように思います。サイコーエジソン株式会社の半導体事業の売上げは2000年をピークに減少していく事になりました。

日本全体に目を向けてみると、かつて世界一の生産額を誇った日本の半導体事業はすでに変化し始めていました。

世界一になった大きな要因の一つはDRAMの生産を伸ばした事ですが、1999年頃にはその主要メーカーとして、韓国のサムスンやSKハイニックス、米国のマイクロン・テクノロジー、欧州のインフィニオンなどが名を連ね、かつての日本メーカーは次第に影が薄くなっていきました。

NECや日立はDRAM事業部門を本体から切り離して生き残りを模索していきます。1999年に「NEC日立メモリ株式会社」として統合され、翌年「エルピーダメモリ株式会社」に社名が変わりました。2003年には三菱電機もDRAM事業を譲渡し、日本を代表する3つの電機メーカーのDRAM事業が統合される事になったのでした。

エルピーダはDRAMで世界第3位の規模になりましたが、日本の3社を統合してもサムスンなどに勝てない事業だった訳ですから、既に日本の半導体事業の地位は凋落していた事が分かります。その後もエルピーダは苦戦を強いられる事になります。2012年にはとうとう会社更生法を申請する状態となり、ついにはマイクロンに買収される事になります。

これには様々な要因があげられますが、究極的には、日本が国を挙げて、どれだけ先を見越した手を打てたかが勝負の分かれ目になったのだと思います。

エルピーダ発足時には、新社長として鳴り物入りで坂本幸雄氏を迎え入れ、日本全体も大きな期待を抱きました。私でさえも、この新体制なら何とかなるかも知れないと感じた事を思い出します。

課題を見抜き、すぐに手を打つという新社長の手腕は高く評価できると感じました。

坂本社長によれば、それまでNECや日立は、DRAMのコスト競争力が落ちて、市場価格に追随できなくなってきても、経営陣は大企業病的な動きに終始して、実質的に問題を放置していたと分析しています。当時、歩留まりが5060%しか上がらなくて採算が厳しかったにも拘わらず、有効な手を打てていなかったため、韓国のサムスン、SKハイニクスや、米国のマイクロンに勝てなくなっていたようです。

新体制になってからは、様々な改革を進め、売上げを伸ばしていきますが、なかなか利益を継続的にあげる事業にはならないまま、2008年のリーマンショックの時期を迎え、経営破綻へと向かいます。

日本の半導体産業で、メモリ以外の分野では、やはり同様に業界の再編が進みました。

1980年代後半のバブル時代には売上高7兆円を超える世界最大の電機メーカーだった日立製作所ですが、半導体事業は市況に大きく左右されるために不安定でした。1996年より半導体価格の下落によって業績が悪化し、1998年にはDRAM市況の悪化によってついに史上初の赤字に転落してしまいます。

そのため、1999年に半導体のメモリ部門は切り離されましたが、メモリ以外も採算が厳しく、2002年には残りの半導体部門(システムLSI、マイコン、DRAM以外のメモリなど)も切り離し、三菱電機のマイコン部門と統合させたルネサステクノロジ2003年に設立される事になっていきます。その後、NECエレクトロニクスも加わって、ルネサスエレクトロニクスへと統合されていきます。

ルネサスは、ガラケー用のSH-Mobileシリーズと呼ばれるマイコンや、車載用のマイコンなどで善戦しましたが、全体としては巨額の赤字を重ね、2013年には政府系投資会社である産業革新機構などが資金援助する形で、事実上の国策半導体会社へと変貌を遂げます。トヨタや日産など日本の車メーカーも支援に入りました。

これはかなりの出来事でした。かつて、世界1位を誇った日本の半導体メーカーの主要部分はルネサスとエルピーダになり、しかも、ルネサスが国策事業となって以降も収益を確保する事は難しかったのです。

唯一、東芝のフラッシュメモリ事業だけは何とか世界の中で地位を保つ事になりましたが、その後の東芝は業績が厳しくなって、フラッシュメモリ事業を分離する事になります。現時点では東芝を筆頭株主としたキオクシア株式会社となっていますが、いつまたどこの資本に替わっていくか分かりません。

全部を俯瞰して見ますと、バブルとともに成長し、世界一になった日本の半導体産業は、その地位を継続できないまま、世界の中での優位性を失い、次第に競争力を低下させていきます。

結局のところ何故だったのだろうかと、振り返ってみるのですが、いまだに、こうしていれば世界一のままでいられたと、ひと言で言える分析はできていません。

お金の問題だったのだろうか、とも思いますが、あれだけの経済力を誇った日本に資金がなかった訳はありません。

そうなると経営センスの問題だったのでしょうか。洞察力、先を読む力、意思決定のスピードと質、それらを担保する組織と風土などでしょうか。もっと言えば、日本全体の文化と総合力なのかも知れません。

我がサイコーエジソン株式会社ですか?

いまだに細々と半導体事業を継続しています。その軌跡はまだまだこれから語っていく事にします。何と申しましても、大河小説なので(笑)

 

 

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